多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

軽食とご飯、周作人

 子供の頃はよくいろいろなものを間食して、大人たちに「軽食をご飯がわりに食べてはいけない」とたびたび叱られた。この言葉に含まれる真実をずっと私は信じてきた。軽食とご飯の違いもそういうものだと思ってきた。私たちの田舎の故郷では軽食は「乾燥した軽食」と「水分の多い軽食」に分けられていた。「乾燥した軽食」とは茶菓子店で売っているようなもので、「水分の多い軽食」とは、蒸したりスープのついたりしているものだった。「水分の多い軽食」とはハスの実茶、

餡入り団子、

シュウマイ、花餃子、

ワンタン、包子、

各種麺類、レンコン粥

などで、家で作るものもあれば、専門の店で購入するものもあった。双方の中間の餻(中華もち)や

麻糍

もこのなかに入っていた。

 これらの水分の多い軽食は半分くらい腹は膨れるが、よほどの特殊な場合を除いてご飯と扱うことはなかった。それゆえ、腹具合がよくないと言っている古いしきたりに慣れた年配の人に「今日何を食べましたか?」と尋ねると、「麺類や餃子をいくらか食べたがご飯は食べていない。だから腹具合がよくない」という答えが返ってきた。

 この理屈は北方では全く通じない。北方で「ご飯を食べる」と言うと、アワやコウリャンのご飯を食べる

ことはあるものの、普通は麺類やマントウ、烙餅

などを重視する。南方の古いスタンダードから見ると、軽食をご飯として食べていることになる。この関係がわからない人か小麦粉食品で有名な所に行って、ワンタンや炒め麺を食べると、南方ほど美味しくないので奇怪に感じる。それも当然で、「ご飯」として作っているからだ。北京で小麦粉で作った軽食を食べるのなら、江蘇料理や揚州料理やレストランに行けば、ご飯としてではなく軽食として作っているものが食べられる。

 北方の烙餅は指の先ほどの厚さで、贅沢なものは肉の切れ端を挟んでいるが、普通はネギを入れ、みそにつけて巻いて食べる。私たちの田舎の故郷の芝居舞台の下で売っている烙餅は、

爪くらいの厚さで、赤みそ、辛いみそ、刻みネギを加え、油条を巻いて食べる。広東の月餅と同じようなもので、

表皮は入れ物に過ぎないということだ。明白な例の一つだ。

(1950.2)

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