軽食とご飯、周作人
餡入り団子、
シュウマイ、花餃子、
ワンタン、包子、
各種麺類、レンコン粥
などで、家で作るものもあれば、専門の店で購入するものもあった。双方の中間の餻(中華もち)や
麻糍
もこのなかに入っていた。
これらの水分の多い軽食は半分くらい腹は膨れるが、よほどの特殊な場合を除いてご飯と扱うことはなかった。それゆえ、腹具合がよくないと言っている古いしきたりに慣れた年配の人に「今日何を食べましたか?」と尋ねると、「麺類や餃子をいくらか食べたがご飯は食べていない。だから腹具合がよくない」という答えが返ってきた。
この理屈は北方では全く通じない。北方で「ご飯を食べる」と言うと、アワやコウリャンのご飯を食べる
ことはあるものの、普通は麺類やマントウ、烙餅
などを重視する。南方の古いスタンダードから見ると、軽食をご飯として食べていることになる。この関係がわからない人か小麦粉食品で有名な所に行って、ワンタンや炒め麺を食べると、南方ほど美味しくないので奇怪に感じる。それも当然で、「ご飯」として作っているからだ。北京で小麦粉で作った軽食を食べるのなら、江蘇料理や揚州料理やレストランに行けば、ご飯としてではなく軽食として作っているものが食べられる。
北方の烙餅は指の先ほどの厚さで、贅沢なものは肉の切れ端を挟んでいるが、普通はネギを入れ、みそにつけて巻いて食べる。私たちの田舎の故郷の芝居舞台の下で売っている烙餅は、
爪くらいの厚さで、赤みそ、辛いみそ、刻みネギを加え、油条を巻いて食べる。広東の月餅と同じようなもので、
表皮は入れ物に過ぎないということだ。明白な例の一つだ。
(1950.2)