多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

故郷の山菜、汪曾祺

  私の小説「大淖記事」に「春の初め、水が暖かくなって、砂州に赤紫色のアシの芽と灰緑色のセイタカヨモギが多く生えている。もうすぐあたり一面緑になるだろう」という部分がある。その注釈に「セイタカヨモギとは水辺に生える野草で、太さは筆と同じくらい。節があって、長くて小さな葉がある。肉と一緒に炒めると極めて清らかな香りがする」と書いた。蘇軾の「恵崇の春江暁景」という詩に「竹外の桃花三両枝、春江水暖かにして鴨まず知る。蒌蒿は地に満ち蘆芽は短し、まさにこれ河豚の上らんと欲する時」とあるが、ここの蒌蒿(セイタカヨモギ)は水辺に生息し蘆芽(アシの芽)とともに生えているので、私の故郷の人たちが食べるセイタカヨモギと同じものであるのは明らかだ。

 クコはどこにでもある。花が咲いた後長円形の果実をつける。私の故郷で取れた果実は漢方薬にはしない。寧夏のものより質が落ちるからだろう。クコは多年生の植物だ。春に若葉が出るが、それを「クコ頭」と呼ぶ。採取は簡単で、時々近郊の村の娘が、採取したものを竹かごに入れて「クコ頭だよ!」と言いながら売っている。クコ頭は塩と油で炒めて食べる。湯がいてから切り分け、ごま油と醤油、酢とあえてもいい。その味は「極めて清らか」としか言いようがない。春にクコ頭を食べると、のぼせをとる。北方人が食べるハチジョウナと同じだ。
 三月三日にナズナの花をかまどの上に置くと、アリが上がってこないと言われている。
 北京でもたまにナズナを売っているが、市場のものは畑で栽培したもので、茎が白くて葉が大きく、香りがない。市場で、南方出身のおばあさんが天秤棒を担ぎ野生のものを売っていることもある。が、それはやせて、口当たりも悪い。南方の野生のものに味は及ばない。
 江南の人はナズナで春巻きやワンタンを包む習慣がある。私の故郷では、春巻きは包むがワンタンは包まない。あえることが多い。ナズナを湯がいた後細かく切り、茶干やむきエビとあえるのだが、酒席にいい。

スベリヒユは今は食べる人は少ないが、古代は相当重要だった。私の祖母は夏になるとやわらかなスベリヒユを摘んで陰干しにし、年越しの時に作るまんじゅうの餡にしていた。祖母は菜食の習慣があり、そのまんじゅうを食べていたのは祖母だけだった。祖母の皿から一個つかみ取ってごま油につけて食べたことがあるが、とてもおいしかった。スベリヒユには淡い酸味がある。

 三年の自然災害(1959ー1961)のとき、張家口というところにいたが、かなりのスベリヒユを食べた。当時は、宝物だった!

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